でも愛は?

 

先日ゾーヤ様を愛しているという話を書いたけど、振り返ってみるとわたしは愛しているキャラクターについて何度も書いていた。過去のエントリを読むと文章が幼くて恥ずかしい。もしかしたら、数年後にこのエントリを読んで同じことを言っているかもしれないけど……。まあ、そういうわけなので恥ずかしがるのはやめにしよう。

 

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共通点としては「行動することがわたしにとっての愛だと思う」みたいなことを言っていることで、そういう基本的な姿勢は数年前から変わっていないらしい。「行動することが」というよりは、貰ったものを大事に抱えて、わたし自身の生き方に反映していくことが愛だと思っているのかな。

 

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ここではキャラクターを「自分が愛してもらいたかったように愛していることがある」みたいな話をしていたけど、逆もしかりで、キャラクターの世界への態度を自分のなかに取りこんでいることもあるな、と思う。そうやって愛してもらってうれしかったから……。念のためつけたしておくと、ここでいう「愛してもらって」はわたしに彼ら・彼女らが愛を向けてくれた場合を仮定した妄想の産物ではなくて、キャラクターが大事にしていることや言葉から勝手に受け取っているものだ。

 

以前、友達に「好き」と「愛してる」がわたしの中では違うものだ、という話をした。わたしは「好き」よりも「愛してる」の対象が広いのだといったら、「あなたの言ううすい博愛みたいなものは私にはなくて」みたいなことをちらっと言われて(これは実際にこういうワードチョイスだったかは覚えてないからニュアンスが違うかもしれない)、うーん? と思ったんだよな。

流石に道行く人全員のことを愛しているわけではない。いや、ある意味では愛しているが、それと友達に告げる「愛してる」はちょっとちがうな~と思う。友達には関係性がある。キャラクターにあるのと同じく、わたしと友達の間の関係性が、唯一無二のものとして存在している。それを踏まえて告げる/告げられる「愛してる」には、単にその言葉の持つ辞書的な意味合い以上の意味が発生する。

 

人びとは真に話すということは、単に何かを言うにとどまらず、何某が何某に何かを言うのだということをあまりにも忘れている。すべて話すという行為には、話し手と聞き手があり、この両者は言葉の意味と無関係ではない。両者が変われば言葉の意味も変わるのである。二人が同じことを話しても、言われていることは同じではない。

オルテガ「大衆の反逆」白水社

 

わたしが先日のエントリを経て完全に悟りを開き、ゾーヤ様を好きだという他者に対して嫉妬をしなくなったのは、ここを腹落ちさせられたからだと思う。わたしのゾーヤ様を愛するやり方と全く同じ愛し方を、他の人はできない。

あと、わたしの「愛してる」は、わたしのもっていた「博愛」という言葉のイメージとはずれていた。もっと激しいものだし、わたしのこの姿勢が自然発生的なものではないという意識がそう思わせているのかな。こういう愛し方、っていうか姿勢を、誰からもらったものかと言われたら、やっぱり『ピングドラム』かな……。あとは多分、高校時代に読んだ本のいくつかが影響を与えているのだろうが、残念なことに当時のわたしがきちんとメモを残してくれていなかったせいで、出典があやふやだ。たぶんカントの『実践理性批判』だと思うのだけど(違ったらごめん……今度読み直す……)、そこには下記のようなことが論じられている。

 

自然が人間の心にともし、自己愛に由来する非常に強力な衝動を抑えることを可能にしているものとは、人間性というソフトパワーでもなければ、か弱い慈愛の閃光などでもない。それは、そのような状況においてより強力な力を行使する、強制的な動機、すなわち、理性、原理原則、良心、心の内なる者、偉大な判事、自らの行動の決定者なのである。

カント『実践理性批判光文社古典新訳文庫

 

他にもあるのかもしれないけど、今思い出せないから思いついたらしれっと追記していこうかな。つまり、このエントリにも書いたけど、

 

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わたしは自分が考えて、選んでわたしの「ただしさ」を背骨にしているということにかなり誇りを持っていて、友達の話を聞いたときには、その言葉とわたしが誇る認識の間に差異があるように感じたから「うーん?」と思ったんだと思う。解明できてよかったね。ウン!

ちなみに「激しいものだ」と思った瞬間に思い出していたのはカミュの戯曲の一節だ。

 

「私は彼らを愛しているわ」

「君はまたどうしてそれを、そんな激しいもののいいいかたでいうんだ?」

「私の愛が激しいからよ」

 

同じく。ヤネックとドラ。

ヤネックがもの静かに、「でも愛は?」

ドラ「愛ですって、ヤネック? 愛なんかなくてよ。」

ヤネック「ああ! ドラ、ぼくには君の心がわかっているんだ。その君がどうしてそんなことが言えるんだ?」

「あまりに血が流れすぎたわ。残酷な暴力だらけだわ。正義をとても愛しているものには愛の権利はないわ。彼らは、私のように、みんなまっすぐだわ。顔を上げ、眼は一点を見つめて。こんな猛だけしい心に、愛が宿ってどうなるというの? 愛は静かに顔をうなだれさせてしまうわ、ヤネック。そうして私たちはその首を切ってしまうのよ。」

「でもドラ、ぼくらは人民を愛しているよ。」

「そう。私たちは大きな不幸な愛で彼らを愛しているわ。でも人民は、私たちを愛してくれているかしら? 私たちが彼らを愛していることを知っているかしら? 人民は黙っている。なんという、なんという沈黙なのかしら……」

「だが、それこそが愛なのだ。ドラ。お返しを期待しないで、すべてを与え、すべてを犠牲にすることが。」

「多分ね、ヤネック。純粋で、永遠の愛だわね。事実、それこそ私の身を焼きつくすものだわ。でも時には、愛とはもっと別なものではないか、モノローグではいられなくなることではないか、往々にして答えなんかなに一つないものではないか、と思ってしまうことがあるの。私は、そんなことを想像しているのよ。わかって? 顔は静かにうつむき、心は猛だけしさを忘れ、眼には皴がより、腕は少し開かれて。世界の怖ろしい悲惨なんか忘れてしまい、そうよヤネック、最後には一刻、ただほんの一刻だけど、エゴイズムに我が身をゆだねさえして。そんなこと思って?」

「ああドラ。そんなものこそやさしさと呼ばれるものだ。」

「あなたはなんでもわかって下さるのね。それこそやさしさと呼ばれるものだわ。でもあなたは、やさしさで正義を愛していて?」

ヤネックは黙り込む。

「あなたは、あなたの人民をこうしたうちとけた気持ちで愛していて? それとも、復讐や反逆の火を燃やして愛していて?」

ヤネックは黙っている。

「知っているのね。そうして私は、私のことはやさしく愛してくれていて、ヤネック?」

「ぼくは君を、全世界よりも愛している。」

「正義よりも?」

「ぼくには君らを分けることはできない。君と、組織と、正義とを。」

「知っているわ。でも答えて。どうか答えてちょうだい。ヤネック。私に答えてちょうだい。孤独のさなかで、あなたは私を優しさから、エゴイズムから愛してくれていて?」

「ああ! ドラ、死ぬほど君にそうだと言いたいのだ。」

「そうだといって、お願い。もしそう思っているなら、もしそれが本当ならそうだといって。組織や、正義や、世界の悲惨や、縛られた人民の目の前でそれを言って! どうかお願い。子どもたちの苦しみや、延々とつながれる牢獄の前で、たとえ首を吊られ、死ぬほど鞭うたれている人たちがいようと、どうかそういってちょうだい。」

ヤネックは一瞬蒼ざめる。

「お黙り。ドラ、お黙り。」

「おお! ヤネック。あなたはまだそれを言わないわ。」

一瞬の沈黙。

「ぼくにはそれを言うことができない。けれど、ぼくの心は君のことでいっぱいだ。」

彼女はまるで泣いているかのように笑う。

「そうね、いいわ、あなた。ききわけがなかったんだわ。私だって、私だってそんなこといえなかったわ。私、正義や牢獄のさなかで、少し堅苦しい愛であなたを愛しているわ。私たち、この世のひとではないのね、ヤネック。私たちの役割は、血と、それから冷たい絞首刑なのね。」

カミュ「反抗の論理:カミュの手帳Ⅱ」新潮社

 

こう……ここでこれを引用するのって……みたいなところはあるな。そしてわたしは別に彼らと同じ愛を持っているわけではないし……。でも共通している部分もある。

 

最近、物語やアニメ、ゲームのシナリオを足掛かりにしながら話をすることの可能性について考えている。わたしは感情的なケアが苦手な方だと思うのだけど、同じく自分の語りにそういうものを付与することも苦手なんじゃないかと思う。だから、観念の話ばかりをしようとするとナラティブの共有がうまくできなくて、相手の理解の仕方や特性によっては誤解を招いてしまったり、うまく言いたいことを伝えられなかったりするのかなって。すでに誰かが作って共有してくれているナラティブを想像の足掛かりにすることで、空中戦をしなくてよくなる部分もあるのかな、と考えている。言葉で伝えきることが難しい部分を補うというか……。恩師がアカデミックな文章に限界を感じている、と言っていたけど、こういうところなのかなーと思っている。恩師とわたしは喋り方が似ているので、わたしが悩んでいることは大体恩師も同じように悩んでいて、それこそ「あなたはなんでもわかってくださるのね」になりがち。その結果1000文字単位のメッセージをメッセンジャーで送りあう羽目になる。長すぎ。

 

 

白水社のはなかった。絶版になってたかも?)