Modern Love

わたしはただしさのことを多分、愛している。ただしさとは、他者に対する誠実さであり、自分を損なわないようにできる強さであり、ただしさとは、うーん……。
好きというには情熱は薄いが (本当か?) 、好きでないというには肩入れしすぎているキャラクターの口癖が「ちゃんとしてください」なのは、なんだかちょっとおもしろいな〜と思う。わたしは母親に「お前だけが正しいと思っているのか」と詰られることが多かったし、先日は友人にも「あなたにはわからないかもしれないけど、世の中にはこういうちゃんとしてない人間もいるの。ゆるして」と言われたばかりだ。


わたしはわたしのただしさが、絶対の正義であるとは言わないようにしている……と思う。わたしが何事かを話す時、それはわたしがただしいと思っているということを話しているだけで、あなたにとってもただしいと言いたいわけではないのだ。だけど、あなたにとってこれがただしくないのなら、それはどうして? あるいは、「ただしい」と言いながらもあなたがこれをあなたのただしさにはしないのは、どうして? とは思っていて、自分の納得のためにそこを突き詰めていこうとする態度は、もしかしたらただしさを相手に押し付ける行為として取られかねないとは思うし、実際「なぜ?」と問いかけることは悪癖なのだろうなあと思う。言葉ですべてを表現できるはずで、それを差し出すこともできるはずだと決めつけるような態度も、また。


さらに言えば、もしかしたら、わたしの奥底にはわたしのただしさのことを絶対的な正義だと思っていて、それを相手に押し付けようとしているわたしがいるのかもしれない、と思う。いるのだ、と断定することは簡単で、いないのだ、と言うのも同じことだ。実際のところはわからないから、わたしはこれを可能性に留めておいて、曖昧なまま警戒していようと思っている。


しかし、少なくともわたしがわたしのただしさを元に誰かの行動に疑問を抱いて行動原理を問う時、わたしはその人のことを責めようとしているわけではないのだ。だから謝らないで。わたしはすくなくとも、あなたを断罪して気持ちよくなりたいわけではない。これは可能性も否定しておく。これは本当に、ない気持ちです。
※わたしはできれば断罪して気持ち良くなることをやりたくなくて、だから勝手にジャッジするようなミームも使いたくない。これはわたしのただしさの話です。誠実さの話です。


さて、わたしはここまで「ただしさ」と「正しさ」を分けて描くように努めてきたけれど、それには当然意図があってのことです。これもまた、わたしのただしさの中の一つのルールで、「言葉を大切に使おう」というものだね。
「正しさ」のことは別に好きではないし、わたしは「正しい」人間では無いと思う。わたしは最低なジョークで笑うし、嫌いなものに中指を立てるのが好きだし、待ち合わせには9.9割の確率で遅刻するし、口が悪いし、露悪的なものが結構好きだし、婚姻制度のことはカスだと思っているし、天皇制は廃止するべきだと思っているし、安倍晋三の死は悼まないし、エリザベス2世の冥福を祈ることもないし、pixivを使ったりユニクロで服を買ったり無印で服を買ったりするし、姉のことは嫌いだし、母親のことも苦手だし、父方の祖父母には連絡すらとっていないし、親に立て替えてもらっている金もまだ返していないし、猫のトイレの掃除の周期は適当だし、実家に帰って安心した〜!みたいな気分にはまったくならないし、あとは何? とにかく、わたしは全然完璧に「正しく」はなれないし、そういう大文字の「正しさ」とか「普通」には興味がなくて、むしろクソくらえだと思っている。


わたしがただしさのことを愛しているのは、わたしがわたしとして生きてきた中で、考え選び取ってきた背骨であるからだ。もちろん周りからの影響がなかったとは言わない。「正しさ」に影響を受けた部分もあるだろう。それでも、いくら「正しさ」が「正しい」と言っても、わたしがただしくないと思ったものはただしくない。
わたしがあなたのただしさについて聞く時、わたしはあなたのただしさに対して、自分のそれに向き合う時と同じように向き合いたいと思っている。つまり、わたしはあなたがどうしてそう思うのか、どのようにそれを選び取ってきたのかを聞きたいのだ。「正しさ」ではなくて、あなたのただしさのことが聞きたい。あなたのただしさについて聞いて、わたしはちょっとあなたに失望するのかもしれない。あなたの意見に傷つくのかもしれない。わたしはもしかしたら、あなたのただしさに質問するふりをして、あなたのただしさを崩そうと試みるかもしれない。そしてわたしのただしさも、そうやって人を傷つけてしまうのかもしれない。母も、友達も、もしかしたら傷ついていたのかも。
その先に、「ただしさとは、うーん……」の続きがあるのだと信じたい。ただしさは、できれば正しさも、閉じられた概念ではなくて、常に開かれた概念であって欲しいから。


先日のエントリで、あなたの友達になりたいと書いた。同じような意味で、あなたの味方ですと言うこともある。
※「あなたの味方です」と言う時、必ず枕詞には「この先わたしがあなたに何を言っても、あなたがそれに何を返しても、そのコミュニケーションがわたしたちの関係性を変えてしまったとしても」をつけたいと思っている。これは誠実さの話です。これもただしさの話です。

味方だと言うからには敵がいるはずで、それはあなたを傷つけようとするものだ。人間であるかもしれないし、人間の一部であるかもしれないし、人間と人間が作り出してしまった関係性であるかもしれないし、人間が細胞になっている社会かもしれない。
味方だと言うからには、一緒に戦う覚悟がある。あなたが困っているなら助けたいと思う。

けれど、わたしはあなたと同じただしさを共有しないかもしれないし、あなたのただしさを批判するかもしれないし、あなたのただしさが向く矛先を掬おうとするのかもしれないし、それでもわたしは、あなたを傷つけたいとは思っていない。そういう話をしています。

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