Friendship is a single soul dwelling in two bodies.


犬が死んだ。わたしはこれを書く必要はきっとないんだろうと思う。でも書くね。できる限り、覚えておきたいと思うから。

 

犬は8月の2週目くらいから一気に体調を崩していた。犬が死ぬことは怖かった。何もできないことも怖かった。
わたしは犬の助けになりたかった。生き物が死ぬときに究極的にはなにもできないともうわたしは知っていたけれど、犬が今困っていることをできる限り取り除いてやりたかった。帰ろうかなとも思ったが仕事もあるし、猫もいる。「逃げ」だろうかと思いつつも、現実的に考えたら難しかった。

わたしは毎日電話をかけて、犬の様子を見ていた。話しかけるときょろきょろと首を動かしてわたしを探すようなそぶりを見せたり、どんどんスマホに顔を近づけてきたりするのが嬉しかった。母親が抱っこしていないと不安そうにすると聞いたので、どこにでも一緒にいけるようにスリングを買った。気に入って寝てくれたようで、それも嬉しかった。苦しそうに鳴くことが増えて、正直、そろそろなんだろうなとは思っていた。母犬の時もそうだったから。

 

その日は親が動画を送ってくる頻度が高くて、内容を見てもかなり具合が悪いんだろうなということが見て取れた。友達の誕生日を祝う予定があったけど、早く帰るように調整した。夜ご飯を食べながら親に電話をかけたけど通話中だった。40分後くらいに掛けなおされて、犬と話す。犬はもう目を閉じる力もなさそうだったが、わたしが話しかけるとまばたきをたくさんしてくれた。楽しかった話をたくさんした。犬の好きだったお菓子、犬の好きだった遊び、犬の好きだった場所、わたしが犬のことをだいすきだってこと。犬がみんなのことをだいすきなことを知っているってこと。
モゾモゾ動いたと思ったらおしっこをしていて、母親がおむつを替えようとペットベッドに寝かせたら、声にならない声を出した。動きが止まってまた失禁した。父親がタオルなどを取りに行くために離れていき、スマホは床に置かれて何も見えなくなった。母親が「もう~!」と抗議したので、わたしは「偉いね、お利口だね」と繰り返した。そのうちに母親が取り乱した様子で犬の名前を呼びはじめて、あ、死んだのかなと思った。でも、まだ死んでないかもしれないから、わたしも何度も名前を呼んだ。何も見えなかったから判断できなかった。
姉もいるグループLINEで電話をかけなおす。今度は犬が映されていた。犬が死んでいるのかいないのかがわからなかったから、わたしはとにかく必死になって名前を呼び続け、画面の向こうの犬を食い入るように見た。でも、親と姉が「頑張ったよね」みたいな話をし始めたところで、もう何も話したくないなと思った。犬が頑張ったか頑張ってないかなんてどうでもよかったし(頑張ったに決まっている)、犬のことを他人と話す気にもなれなかった。

 

何もできなくてごめん、とも思うし、何もできなくてごめんなんて謝るのも違うと思った。声が届いていたと思いたいけれど、わたしがあの子のためにできたことがたくさんあったと思いたいけれど、それに何の意味があるんだろうとも思う。間に合ってよかったなと思う。電話越しでも立ちあえてよかったと思う。姉ではなくわたしが電話しているときでよかったなと思う。そんなことを喜んでいいんだろうかとも思う。
過不足なく、犬の気持ちを受け取りたかった。愛情の深さや大きさを誰かと比べる物差しは存在しない。それがわかっていても、犬が死んだ直後はそれをやりたくてたまらなかった。犬にとってわたしが特別だったと思いたかった。待っていてくれたと思いたかった。そんなこと、わたしが自分を慰めるために考えているだけで、何の意味もないってちゃんとわかっているのに。でも、父も母もわたしは犬にとって特別だったと言ってくれた。姉の声には一切反応しなかったのに、わたしの声には反応していたと教えてくれた。じゃあ、本当に犬にとってわたしが特別だったなら、わたしがそれを見ないことは、犬の気持ちを取りこぼしていることになるのかな。答え合わせは一生できない。それがやっぱり一番くやしくて、悲しい。

いらいらしたし、悲しかったし、くやしかったし、しばらくは全然犬の話をしたくなかった。犬は2匹とも、わたしのことを愛してくれて、わたしが犬のことを傷つけるわけがないと信じてくれていた。なんだかずっと庇われて、守られていた。猫もわたしのことを愛して信じてくれているだろうけど、この子を守るのはわたしの方で、逆じゃない。犬は違った。ふたりがいないことが怖かった。


今はもう、大丈夫。なにもわからなくても、誰かと比べたりしなくても、この世界に犬がいなくても、大丈夫だって思える。犬がわたしのことを愛してくれたことを知っている。大事にする方法も、信じることも、犬が教えてくれたから知っている。わたしもそうやって自分のことを大事にできるし、他人のことを愛せる。犬にできることってもうそれしかないからね。だからわたしはそれをやる。
あとね、やっぱり犬はわたしにとって特別だったよ。答え合わせはもうできないけど、ていうか生きてたってそんなこと聞けないけど、犬にとっても多分そうだった。母犬はわたしにとってもお母さんだったし、犬はわたしにとってのきょうだいみたいだった。一緒にいられてよかった。

 

こんなこと絶対に書く必要はない。公開する必要はもっとない。でも、わたしが本当にあの子たちのことを愛していたことも、愛されていたことも、あの子たちのことをたくさん考えたことも、これからも忘れたりしないことも、あの子達にもらったものをちゃんと抱えて生きていくってことも、友だちには知っておいて欲しいのかも。
読んでくれてありがとう。それからできれば覚えていて。わたしに素敵な半分がいたってこと。