いつか一緒に輝いて

もう何度目になるかわからない『輪るピングドラム』の視聴をしていて、プリンセス・クリスタルが叫ぶ「きっと何者にもなれないお前達に告げる」の意味をぼんやりと考えていました。

「何者にもなれない」というのは、たとえばウルトラマンにはなれないとか、五条悟にはなれないとか、テレビで輝くあの俳優さんにはなれないとかそういうことなのか、それとも「自分以外の何者か」にはなれないよっていう意味なのか、それっておんなじことですか? 

なんていうか、役を求めるのは違うよなっていうのと、「自分以外にはなれなくても自分ではいられる」みたいなところで、わたしの中には差があるような気がしています。どうかな、一緒のことですかね?

 

先日友人に『カリギュラ』を勧めた話はしましたよね。友人が『カリギュラ』を読んだ日の夜、わたしたちは目の前の相手に対するスタンスについて話し合っていて、わたしたちはお互いにどうしようもなくすれ違いながら眠りにつきました。

彼女は目の前の相手が欲しいものを自分が握っていたら、それを与える側の人間になりたい、と話してくれました。例を挙げるなら、「きみのことがスキだから、自分のことをスキになってそばにいてほしい」と言われたときに、相手のことをスキじゃなくても「スキだよ」といって傍にいる、みたいな。

わたしはそれ、全然わかんないんですよね。相手がどう思うかと言うよりも、相手に誠実である自分の方が優先度が高い。わたしは倫理的な人間でありたい。それは『カリギュラ』のケレアを理解したくない、という話とも通じる部分があるんじゃないか? とわたしは思っていて、つまりわたしは、自分の中にある信念みたいなものを大切にしたいし、その信念に従った行動をとることを賛美する傾向があるんだと思います。

たとえば、ルッキズムを批判するなら、自分の中からルッキズムを取り除いていきたい。わたしは外見で人を差別したくないからです。同時にこれは自分の中で完結していてもどうしようもないことなので、"わたし”の外で行われる偏見や差別には声を上げて、批判したり正すためのアクションをおこしたりするべきだと思っています。その辺の話はここでもしましたね。

 

tabetyaitai.hatenadiary.jp

 

この、わたしが欲しがっている〝正しさ”、あるいは"倫理的人間”というものが、カリギュラが言う「月」であったのではないか……と、だからわたしは、カリギュラにはなれなくとも、皇帝にはなれなくとも、英雄にはなれなくとも、わたしのままで少しずつそれに成るように努力する、己の倫理を正そうと努力し、アクションを起こすために足を動かせる自分になろうとするのだと、そう思っていました。

 

 

けれど、考えてみればカリギュラは不条理を体現する存在となり最後には斃されることで、読者のわたしたちや、或いはシピオンやケレアといった彼を理解した人たちにはなにかを残したかもしれないけれど、彼のしたことや彼の死によって世界が変わったかと言われれば、そうではないんですよね。

 

カリギュラには月が手に入らなかった。わたしが「何者か」の代名詞として使っていたカリギュラですら、「きっと何者にもなれな」かった。カリギュラが死んで、それでも世界は続いていくし、彼の抵抗はひっそりと忘れ去られてしまう。世界は不条理だから。わたしたちの努力になにかを返してくれるとは限らないから。

或いは、ある点においては皆がカリギュラであり、ケレアであり、シピオンであり、ドリュジラであるのかも。わたしたちは、「何者にもなれない」ままで、それぞれの月を欲しがりながら、互いに理解し合おうと努め、時に幸せのためにそれを否定しながら、歩いていくしかないのかも。

 

 

友人が以前、「早く生まれ変わって、イケメンか美少女になりたい、美少女なら文系がいい」って言ってて、わたしはその時、「えー、来世があるならわたしがいい」って答えた覚えがあります。

友人は多分、本当に冗談の範疇での会話をしていて、そこにそんなに意味なんてなかったんだと思うけど、わたしはどうしても、多分自分に対して言っておきたかった。来世があるならわたしがいい。その時のわたしの顔も髪の色も体型も年齢もなにもかもどうでもいい、どんな状況にいたっていい、どんな望みを持っていたっていい。

ただわたしでありさえすればきっと、前に進んでいけるから。

理系の勉強がしたいならすればいい、運動を頑張りたいなら頑張ってほしい、諦めたいなら辞めちゃえばいい、たぶんわたしならわたしにそうやって言ってあげられる。だから来世があって、わたしがそれを選べるんなら、一も二もなくわたしを選びます。

 

 あー、つまりね、わたしは人間が好きだし、友達が好きです。この文章を読んでくれている友達にいつも伝えたいと思っているのは、わたしは君たちのことが大好きだよっていうこと、君たちがどんな月を目指して歩くのかを教えてくれたら嬉しいよってこと、そしてそれを絶対に笑ったりしないし、できれば一緒に、その月を見上げながら歩きたいねってことです。不条理な世界では月は一個しかないみたいだけど、わたしたちの世界には天の川くらいの数の月があったっていいんじゃないって、本当にいつも、思ってるよ。