冬のミルク

犬が死んだ。わたしは今これを、あの日の朝のことを忘れないために書いている。いま考えていることを忘れないように書いている。できる限り、覚えておきたいと思うから書いている。

 

こうして書いてはいるが、実際のところ、わたしはまだ犬が死んだことを、まだ受け入れられないでいるのだとおもう。

死んだのだろう、と最初に判断したときは涙が出たけれど、そこからずっと泣けていない。死んだことを頭では理解しているのだけど、感情がたぶんおいついていないのだとおもう。悲しいとか、寂しいとかいう気持ちがわいてこなくて、そこにもういないのだという事実だけがわかっているので、なんというか、困っている。

わたしにとってのあの子がなんであったのか……感情について言及することは避けたいのだけど、家族というグループの一員であったことは間違いない。そして、わたしと、あの子と、もう一匹の犬は、家族と独立した形で“群れ”として認識していた節があったように思う。3びきで保たれていたバランスが、2ひきになるとどうにも保てないのだ。それでいて、年嵩の仲間が先に逝くことはずっとわかっていたことでもあった。自然で不自然。ちぐはぐだ。

 

9月が始まった火曜日の朝、寝たきりの犬にご飯を食べさせるために寝床をのぞいたら息をしていなかった。あわてて触ったからだはもう硬直していて、どんなに叩いても、どんなに声をかけても、まばたき一つしなかった。

死んだのだなと思った。死んでいないのかもしれないとも思った。怖かった。

わたしが生死を判断しなければいけないことが怖かった。生きていて、調子が悪いだけかもしれない、いまこの子は苦しんでいるのかもしれない、死んでなんかいないのかもしれない。

両親に報告した後、すぐには火葬場に連れていくこともできなかったので、ひとまず保冷材で冷やすことにした。保冷剤を準備しながら、ずっと腹を見ていた。

わたしの見間違いで、ほんとうは息をしているんじゃないかと思った。エアコンの風が彼女の毛を揺らすのを見て、保冷剤を放り出して抱き上げたりした。わたしが触ってうつった体温に期待した。

実際のところ、わたしが発見したときは息を引き取ってそう時間がたっていなかったのだと思う。鼻はすこしだけまだ湿っていたし、硬直もひどくはなかった。

何度も何度もそれを繰り返して、やっと保冷剤で体をひやしてやることができた。

それからバスタオルに包んだ彼女の遺体をダイニングのエアコンの真下に置いて、保冷剤がぬるくなるたびにそれを入れ替えた。

時間がたっているとはいえ、涼しい部屋で冷やされた遺体からは明らかな異臭はしないのだが、ふとするたびに「死んだ生き物」のにおいがした。「死んだ生き物」のにおいはうまく説明ができないのだけど、わかるかな。明確に臭いというわけではないのだけど、あれはやっぱり生き物が朽ちていくときの匂いなんだろう。怖かった。

死んだ犬の体は、たしかにわたしの大事な家族だったはずなのに、それとは違うところで「死んだ生き物」だという認識があって、「死んだ生き物」は、家の中にあるにはあまりにも歪な感覚がした。

「死んだ生き物」は「死んだ生き物」だったけれど、わたしの大事なあの子でもあって、怖いと思う事、嫌だと思うことは嫌だったし、駄目だと思った。ちぐはぐだった。

 

ちぐはぐなことにずっと困っている。

ちぐはぐは、これについて人と話すと突き付けられてしまうので、ここ一週間はそれをどう避けるかを考えていた。わたしはまだ寂しさを感じられていないのに、寂しがっているだろうわたしを心配されると困る。感情に整理を促されると困る。だってわたしはまだ、そこまでいっていないのだ。

かといって、このちぐはぐを人に説明することもなかなかできなかったのだが、最近「困ったままでもいい」ということを受け入れられたので、それを記録しておこうと思って筆を執った。

悲しみがきたら、悲しもうと思う。寂しさがきたら、寂しがろうと思う。困っている間はきっとずっと困っているし、同時になんでもないように生きていこうと思う。

人には「写真とかをみて感情に整理をつけるしかないね」なんて言われたけれど、感情に整理などつけてやるものか。

 

困った状態に慣れてしまうことも怖いことだと思っていたのだが、変わっていくことは悪いことじゃないと考えなおした。あの子だって、5年前より動けなくなったし、10年前とは全然違うけれど、それは悪い変化ではなかったし。いい変化とも言わないけれど。生きていくことはそういう事なんだろうと思った。だから、これでいい。

忘れないように書いたけれど、いつか忘れるであろうこともわかっている。そもそもここに書いている思考が、あの朝のものと同じでないことも、考えたときから変化してしまったこともわかっている。明日これを読んだ時に感じるのは、いま書いている私の感情ではなくなっているだろうとも思う。仕方がないね。困ったね。