薔薇を手渡す者

11月は、なんだか「継承」の話をされることが多かった。

わたしが好きなアプリゲーム「魔法使いの約束」の2周年記念イベントストーリーで、キーワードになっていたのが「継承」だった。師匠から弟子へ受け継がれていくこと。受け継がれるものは魔法の技術だけに限らず、長い年月の中で身につけられた知識、経験、果てはその人生そのものを明け渡す行為であるとされる。

師匠と弟子の関係性は、親子のそれとも、主従のそれとも、ボスと手下、教祖と信者のそれとも違うと作中の人物は語る。

「俺に言わせれば、子分と弟子は全く違う。子分は俺を慕ってきた奴らを統制して、生かして、守ってやるものだ。/強い群れになるために、優れた手足となることを教え込む。/だが、弟子には頭になることも教える。自分の生涯を渡していいやつにしか、弟子とは認めねえだろう。」

魔法使いの約束 イベントストーリー「繋いだ絆は魔法のように」9話

 

「魔法使いは長い時間を生きる。子供を産んだって、子供の方が先に死ぬ。そうするとな、人間に執着できなくなるんだ。/執着ができなくなりゃ、世界との関わりは薄れて来ちまう。/だから、この世界に長くとどまりながら、この世界のどこにも繋がっていないような矛盾と虚しさを覚えるのさ。」

(略)

「……ひとりぼっちという意味ですか?」

「少し違うな。ひとりだって命を燃やして生きられる。そうして燃やした命を……。/明け渡す先がない、不毛さだ。」

「不毛……。」

「価値がないってことだ。たぶん、価値なんかなくたっていいんだ。生きてることにな。」

「…………。」

「だが、時折、物惜しくなる。せっかく俺様が身につけた技術も、知恵も、経験も、空っぽにしちまうのかと。/冷たい石になり果てて、後には何も残らない。それでいい。それでいいんだが……。/もし、自分の生涯を明け渡して、生き様を繋いでいける相手がいるなら、何かが満たされるような気がする。/そういう、おかしな夢さ。」

「自分の生涯を明け渡す……。そうすると、世界と繋がれるんですか?」

「そんな保証はねえよ。ただの夢想だ。それでも、夢想っていうのは楽しいもんだろ。」

魔法使いの約束 イベントストーリー「繋いだ絆は魔法のように」9話

継承をしてもらうと、嬉しいのはわかる。

自分の人生や、経験や、言葉を受け取って、感謝してもらえたら嬉しい。幸運なことに、わたしには何度かそういった経験があるので、その喜びは理解できる。

だが、継承を救いであるとして、人生の目的にすることには共感できなかった。

 

二番目にわたしに継承の話をしてきたのは、高校時代の友人だった。彼女の大学の講義の中で、「死んだあとどうなると思う?」という問いに対しての解釈には4つの類型がある、という話をされたのだという。天国に行く、転生する、虚無、継承される。

これ、わたしは問いかけの仕方が間違っていると思っていて、前半の3つについては、「自分(魂)がどうなるか」の話なのに対し、継承だけは「自分(エッセンス)がどうなるか」の話になっている。並列の概念として適切ではないと思う。

成立した問いにするなら、例えば「死に対して、どのように救いを見出すか」になるのではと思うが、虚無が救いになるかはよくわからない。救われない、というのが虚無の考え方だろうか。または、「死後、何を目的にして生きるのか」とか?その場合も、虚無だけはちょっとエクスキューズが必要になるかもしれない。

ちなみにわたしは死んだことがないので、死後どうなるかなんて知りません。死んだら確かめます。

 

話が逸れたけど、そう、継承の話ね。

継承に救いを見出す、あるいは目的にする場合、継承した、という目的が達成されているかどうかにこだわりはないのかな、と、少し疑問に思っている。先述した通り、わたしも、継承をしてもらうと嬉しい、ということはわかる。わたしの姿勢や言葉に対して「ありがとう」って言ってもらったときに、受け取ってもらえたことが嬉しかった。でも、「ありがとう」がなかったら、受け取ってもらえたかどうかなんて、一生わからなかったと思う。

知識や、経験や、技術ならともかく、人生の一部なんて大きくて重い物ならばなおさら、伝えることも難しいし、受け取ってもらえる保証なんてどこにもない。「継承の答え合わせ」が成立するのは極めて稀なことで、ほとんどの人はそれを受け取ることができないまま死んでいくんじゃないだろうか? 天国や、転生を目的や救いにする人々とは違って、死んだ先に答え合わせがあるわけじゃないのに、安らかに死ぬことはできるんだろうか?それは、救いとして成立するのだろうか。

答えなんていらないのかな。どうなんですかね?そういう人しか「継承」を救いになんかしないのかな。どう思いますか?

 

3人目にその話をしてきたのは、父が仕事で付き合いのあったおじいさんだった。父と一緒に飲みに連れて行ってもらった先で、「俺は色んな人から知識や、経験や、物の見方を受け取ってきたから、今の俺になれた。だから、そうやって自分も踏み台になることはいいことだと思うし、人生というのはそういうもんだと思える。君も俺のことを踏み台にしなさい」と言ってくれた。今度家に行ってご飯食べる約束もした。娘さんも紹介してくれるらしい。優しい。

ここまで書いてきて、もう話がとっちらかりすぎて心が折れそうなんですけど……。

とにかく11月は何故か継承フィーバーだった!完!とかじゃダメか?ダメかな……。

 

3人目のおじいさんの話は、彼の話それ自体について考えていたわけではないので、ここからまた話が飛ぶ。すみません。

わたしには姉が一人いて、今の家からほど近いところに住んでいるが、そのおじいさんとの食事には呼ばれなかった。人数的な問題もあるし、わたしと姉の仲が悪いということももちろんあるのだが、姉は口下手で場をもたせられない、と父が判断していたこともあるようだった。

父が作った人間関係を、わたしなら壊さないで、かつ新しく構築することもできるだろう、と信頼してもらえたのは、嬉しかった。

昔、『銀河英雄伝説』の登場人物にたとえるなら、お前はユリアン・ミンツだね、と言ってもらったことを思い出した。主人公の一人、ヤン・ウェンリーの被保護者であり、後継者と目された少年である。ユリアンのことは特別好きなわけではなかったが、父にユリアンだと言ってもらえたことはすごくうれしかった。他のだれに喩えられるより、素敵な誉め言葉だと思った。

その時は、自分がどうしてそう思うのかちっともわからなかったけれど、この一連の継承の話を通してようやく少し理解できたように思うのだ。

 

継承をしてもらうと嬉しい。自分の人生や、経験や、言葉を受け取って、感謝してもらえたら嬉しい。同時に、あなたなら受け取ってくれるだろうと期待されることも嬉しい。死んだ後の事はわからないし、世界と繋がったという実感は得られないし、手渡したものがきちんと受け取ってもらえるか、手渡されたものをこの先も大事に抱えていけるかはわからないけど、きっと何か自分なりに方法を見つけて、それに言葉を与えることができたらいいと思う。以上、2021年もお世話になりました。来年も変わらずよろしくお願いします。