猫を飼い始めた。11月3日に家に来て、その日には喉を鳴らし我が物顔で部屋の真ん中で寝そべり、わたしにくっついて眠ろうとする甘えん坊の白い猫。可愛い。

毎日可愛い……と言いながら写真を撮っている。可愛い。可愛くて、賢くて、やさしいので、すごい猫です。幸せというのはきっと4本足の動物の形をしているに違いありませんね。

 

もともと、就職を機に引っ越したタイミング(と言っても、なんだかんだと実家にいたので引っ越ししたのは夏だったが)で、わたしは実家で飼っていた犬を引き取ることができるよう、ペット飼育可能物件を探していた。

当時、母は姉の家にいて、拒食や過食を繰り返す姉のサポートをしていたので、高齢になり、この先ケアが必要になっていく犬の世話をできるのはわたししかいないだろう、と判断してのことだった。

父は出勤しなければならないが、わたしは在宅で仕事ができるし、昨年度まではもう一匹の犬の介護をしていたので、まあ、なんとかなるだろうと。

 

犬との生活は楽しかった。私も犬もお互いのことが好きなので、幸せだった。

家が狭くなったので必ず目の届くところにいるからなのか、食が細くなっていた犬もご飯を食べることが増え、鼻の頭が禿げていたのも戻った。これは本当によかった。

でも1か月後、母がいきなり犬を連れて実家に帰っていったので、わたしの手元には虚無の入ったケージだけが残されてしまい、おまけに母親や姉からの心無い言葉に晒されていたので、正直なところメンタルはベコベコになっていた。

へこんでいるというか、傷ついていたというほうがしっくりくるような気がする。

傷ついていて、それを癒す手段もなかったので、どうしたらいいのか全くわからなくて困っていた。

一方で、母や姉は「祝福しろ」だの「許せ」だのと言ってくるので、それにも困っていたんだと思う。だってまだ、傷ついていたから。

 

傷ついているのだときちんと自覚したのは10月になってからのことで、その時わたしは何に傷ついているのかまで分解しようとした。

おそらくわたしが傷ついている理由は大きく分けて2つで、1つめは犬がいないこと。犬がいないのに、犬の物だけが部屋に残っていること。それらがわたしに犬の不在という事実を突きつけてくること。2つめは、わたしの感情を蔑ろにされるような扱いを母や姉から受けたこと。それでいて、許してほしいと縋られるのを無下にしてやれるほど、わたしに情がないわけではないこと。無下にできないのであれば、どんな形で共存していくのかはさておき、縋られるために立っていなければならないこと。しかし、自立する理由が、わたしの苦手な母や姉だというのは、わたし自身ですらわたしの感情を蔑ろにしてしまうようで嫌なこと。

 

だから、虚無でないものを飼おうと思って。犬だと、実家の犬と比べてしまうような気がして、それはどちらにも失礼な行いだと思ったので、猫を飼うことにした。

猫を飼えば2つ目の理由も解消されると踏んでいて、実際今のところ、完全にとは言わないけれどうまくいっていると思っている。

わたしは他の誰のためでも何のためでもなく、猫のために精神的にも金銭的にも自立しなければならない。猫はわたし以外の誰にも助けを求めることはできないわけだからね。実家の犬はもう14年も一緒にいたし、いざとなれば両親に頼ることもできただろうけれど、猫には私しかいないわけだし。

それはある意味、将来への不安が猫の形で立ち現れているようなものなので、慣れない種族との生活ということも含めてストレスでもあるな、と思う。

 

けれど、傍に小さくてあたたかい生き物がいてくれて、反応を返してくれて、一緒に生きてくれるということは何事にも代えがたい幸福だなと思えるから、せめてわたしのエゴに付き合わされる彼女のことは、幸せにしてあげたいと思っている。

眠すぎるのでもう無理、寝ます。