タイトル考えるのが一番だるいわ

書かなきゃ!と画面を立ち上げたはいいものの、何を書こうか迷っています。

ううん。ブログを書いている友人たち、結構コンスタントに書いていてすごいなと思います。というか、こういう媒体を見ると結構個々人で使い方に差が出るの、面白いですよね。

わたしはツイートもインスタの投稿もブログも、ほら、文字の量がすごいじゃないですか。短い文章で何かを伝えるっていうのがあんまり得意じゃないのかな。

言葉を省くとめちゃめちゃ省いてしまうので、ちゃんと言おうとするとそうなるのかもしれないです。また95%冨岡義勇の片鱗を見せてしまった。

 

Amazon primeで「バビロン」というアニメを見ています。

面白いですよ。わたしの周りに見ている人、わたしのほかは父ともう一人くらいしかいないけど。

これを見はじめた頃、友人に勧めたら「そうやって考えさせられるような、見るのに体力が必要そうなアニメ、見れなくなっちゃったんだよね」といわれてびっくりしたのを今日突然思い出しました。というか、考えさせるアニメもなにも、あるのかしらと思いました。結局やるかやらないかなんだと思いますよ。だから「バビロン」とりあえず見てみてね。

「バビロン」の原作者がシナリオを書いた「正解するカド」も面白かったですよ。途中まで。これもアマゾンプライムでみられるはず。

「バビロン」は「正義」をテーマに扱っているんですが、そう考えると今日わたしが刀剣乱舞について考えていたこととも繋がってくるのかな。

 

刀剣乱舞は、刀の付喪神とともに、歴史の改変をもくろむ「歴史修正主義者」と戦うのがコンセプトのゲームです。

歴史の改変といえば、たとえば戦争や虐殺の歴史が実際にあったにもかかわらず、それを「なかったことにする」。これ政治家がよくやろうとしているようなね。誰とは言わないけど。誰とは言わないけど、よくそれをやる人、この前も不用意な発言でニュースを飾っていましたね。誰とは言わないけど。

まあ彼に限らず、往々にしてこういうことを言う人は出てくるわけで。私はこれはよくないと思います。

でも、本当に「なくす」ことができるようになったときに、わたしたちはその是非をどのように問えばいいのか。正直に言って、わたしにはまだ考える時間が必要だなと思います。

時間の一本の流れの中で、過去に飛んでなにかをした、というそのことも、行動が起こってしまえばひとつの歴史になってしまうのではないでしょうか。もしいったん変更されてしまったら、それを元に戻すこともまた、歴史の改変になってしまう。

もちろん、事が起こる前に未然に防ぐことができればそれはそれでいいと思いますが、そうだとしたら最初に行動する人たちは何故、どんな正義を胸に抱いて死地に赴くのでしょうか。それとも、行動する末端には選択の余地すらなく、誰かの利益のために死ななければならないのでしょうか。

 

あったことをなくすことで、生まれる命があれば、生まれない命や、死んでしまう命もきっとあって、それは裏を返しても同じことで、考え方としては、世界線の分岐に近いのかな。

いまわたしたちがいるところがα世界線だったとして、歴史の改変をもってβ世界線に移行するとする。α世界線とβ世界線のどちらが正義なのかな。

αならだれも死ななくて、βなら大切な人が死ぬ、なんてそんな単純に分かれるでしょうか。どちらでも大切な人が死ぬのだとしたら、わたしたちは何に憤るのでしょうか。

死ぬはずだった人は死ねばいいのか。あちらで生きている人が死ぬことに憤り、こちらで生きている誰かを殺すことは、「ただしい」ことなのか。

結局、個人の信じるものを軸において対立するのかな。何が「ただしい」のかというのは、そこまで感情に拠るものなのかな。

どう思いますか? それとも、勝ったほうが正義だとおもいますか?

 

刀剣乱舞5周年で久しぶりにログインしたら、ほかの刀のあいさつでは何とも思わなかったのに(オイ)、大倶利伽羅くんの挨拶をきいたらわたしはこの人に恥じない人間でいなくては、と思ったので、骨の髄までオタクだなと我ながらあきれ返ったし、2.5で違う刀に沸いていても、やっぱりわたしにとって大倶利伽羅くんは特別なんだなーと思いました。

あと刀剣男士、跪坐してくるの無理だからわたしが本当に本丸持ったらあれやられた瞬間自分の体に火をつけて庭を転げまわっちゃう。無理すぎ。

いや跪坐って、跪坐ってねえ、本当に心からの敬意を表してやってくれているのであれば、それはそれでものすごくうれしいと思いますけど、そんなことってある?人に膝ついて礼をするほど感謝したことある?尊敬したことある?わたしはない。

膝なんかつくな!!!頭なんか下げるな!!!!立てやコラオイコラ聞いてんのか!!!になっちゃいますよ、そんなの全然求めてないじゃん!

そんなことより「正義」について話し合いたいよわたしは。しようよ!!!これまでとこれからの正義の話をしようよ!!!ただしさについて考えようよ!!!考えないで力なんか使わないでよ!!!それを考えるのがにんげんの仕事か!!!馬鹿野郎一人で考えるのとみんなで考えるのじゃ全然考え事の性質は変わるんだぞ!!!どちらにもいい点があるんだからな!!!ちなみに立って考えるのと座って考えるのでも変わりますよ。これ今日の豆知識。風呂入るわおやすみ。