speechless
コロナウイルス、実を言うとわたし、最初の頃はちょっと舐めてかかってたんですよ。言うてもインフルエンザより致死率低そうじゃん、とか言ってた。
あれ、これやばいかも……て思い始めたのは3月頭だったんじゃないかな。もうその時にはかなり感染は拡大してた。わたしのバイト先にも濃厚接触者が何人かいました。
でもその時は多分、「やばいかも」って程度だったんだと思います。3月22日、その日から3日ほど休みがあったので、実家に帰省した。県外への移動~~。補足しておくと、この頃はそこまで県外への移動の制限が声高に叫ばれていたわけではないと思います。新幹線の本数は減っていましたが。
24日に東京オリンピックの延期が決まって、25日の会見で都知事がロックダウンの可能性を示唆し、そこから一気にやばいかも、って雰囲気になって。わたしはその頃から、新型コロナウイルスに関連したニュースを探しては、リア垢でリツイートするようになりました。
官邸にメールしたり(最近は疲れてできないことが多い)、リツイートしたり、署名活動に参加したり、とにかく自分にできることはやろうって思って。
情報を取り入れないと、考える事もできないから。
スルーされても、ミュートされてもいいやって思いながらやってた。やってる。
そんなことしかできないから。
高校同期に「頭悪い(意訳)」みたいなこと言われても言い返さなかったしチョー偉い、言い返そうとした下書きだけ残ってます。
自分の意見を言わないでリツイートしてることが多いんですが、「それって卑怯だ」みたいなツイートを先日たまたま見かけて、ものすごくもやもやしたんですよね。
もやもやしちゃって、「それって卑怯だ」ってのは違うんじゃないかしら……とだけは、本垢のほうでぽろっと言っちゃった(当該ツイートを本垢で捕捉したためです)。高校同期は我慢できたけど、そっちは我慢できなかった。
そうしたらフォロワーが「何難しいこと言ってるの、Twitterはもっとバカなことつぶやいてればいいんだよ」って言いながら「うんこ」とかツイートしてて、それは多分優しさなんだろうと思った(思いたい)のだけど、同時に、ああわたし、ここじゃないところにも生きる場所があってよかった、と思ってしまいました。たとえそれが優しさでも、わたしがそれで口をふさがれないでいられる場所があってよかった。
わたしは、Twitterで意見を自分の言葉で話すのがあんまり得意じゃなくて。それは、不特定多数の人に対して、どう伝わるかがコントロールできないからだと思います。そしてそれをフォローすることが難しいから。
じゃあリツイートならいいのか?って言われると、それはまあ、自分の意見を他者に代弁させるようなもので、責任転嫁なのかもしれないですけど……でもだからって、”できない”ことが”悪い”わけじゃあないと思うんですよね。
できることから始めることは、何もおかしなことじゃないでしょう。わたしは情報を集めて、それを共有したいからそれをするし、余裕があれば官邸に意見を送るし、Twitterデモにも参加する。でも、それは「みんながやらなきゃいけない」わけじゃない。
考える事は必要だと思うし、考えるためには材料がいると思います。だから情報の取得はできればしてほしいなと思う。わたしのリツイートにはもちろん偏りがあるけど、きっかけの一つにはなる。デモの参加もそうです。意見が違うなら違うで、それでいいんですよね。そこから少しでも考えてもらって、そうしたら次は、選挙にみんなで行きたいんです。
なんでかっていうと、これはわたしたちが選んだ代表がする政治の話だし、わたしたちの住む国の、社会の話だからです。
経済活動の再開が始まりつつあり、コロナと「共存」しながら生きていかなければならないが、ワクチンも特効薬もない今、わたしたちがどうするべきで、行政はどのようなサポートを用意するべきなのか、改めて考え始める必要があると私は思います。
謎も多いしね。感染者数はあてにならないにしても、欧米と比較すると死者数や重症者数が少ないのは確かだし、一方で院内感染事例の重症化率は高い印象があります。
こわいな。こわいんですよ。
1年に100人死ぬか死なないかだよ!って言われても、その100人に好きな人間が入るのだったら、もうそれは1年に1265憶人死ぬのとなんにもかわらないじゃないですか。いわんや自分をやです。
せめて人災はなくしていきましょうね。そのために声をあげることをやめないでいましょうね。ささやき声でもいいし、手を鳴らしてもいいし、足を踏み鳴らしてもいいんですよ。だから死なないでね。80年後まで。