OUT OF THE WORLD

先日受けたwebセミナーに登壇していた人が、「おれはたくさんのひとに自分の葬式に来てもらいたい」と言っていて笑っちゃったんですよね。あけすけすぎるでしょ。

でもそこからスタートする考え方はわたしにも合いそうだな!とおもって考えてみたんですよ。

実のところ私は、自分が死んだ後のことにあんまり興味はなくて、それよりは「満足して死にたい」。あるいは「納得して死にたい」んだと思います。「肯定して死ぬ」、って言い換えてもいいのかも。

ハ……またジョジョの話しそうになっちゃったな。危ないぜ。


納得したい、あとは答えが欲しいんだと思います。わからないことがあるってことに耐えられないんですね。この話しました?してない気がする。

わたし、学生生活を通してずっとやってきた形に残るもの、ってなにもないんですよね。部活もサークルもやっていないし、バイトはまあやっていましたけど、別にすごく熱を入れていたわけじゃない。ずっとオタクだったけど、全通してた!ってわけではないし。でもなにかはしていたはずなんですよ。それが何かを考えていたの。

結論としては、ずっと、好奇心を満たしていただけなんだろうなと。本も読んだし、舞台も見たし、教授になつきに行ったり、イベントに参加したりもした。昔からずっと好奇心旺盛な子どもだったんですけど(ドッグフードも食べるしね)、結局わたしがずっとやっていたことっていうのは、そういう自分の気になることを手当たり次第に口にするようなことなんだろうなと。

ドッグフード食べた経緯は書いたっけ。ドッグフードは単純に味が気になったのと、わたしに黙って犬がおいしいもの食べていたら嫌だなと思って食べました。まずかったけど、結局いつも気になって犬があたらしいおやつ買ってもらうたびに食べては目の前でこき下ろしていた。あいつらが食べているチーズ、全然チーズの味しないんですよ。かわいそうに。お前は本当のチーズを知らない。

みんなは食べたことあるのかな?って気になってInstagramでアンケートとってみたんですが、ドッグフードも犬用ジャーキーも20%くらいの人が食べたって回答してくれました。面白かったのは、その回答者が全く一緒ではなかったところでしたね。フード食べてもジャーキーは食べない人もいるし、その逆もいました。因みに、美味しそうと思ったことがある人は過半数を超えてました。

そう考えると、わたしは好奇心旺盛というか、「気になる」とおもってから実行に移すハードルがものすごく低い、みたいな感じなのかな。

納得したいし答えが欲しい、世界はもっと広くてたのしいはずだし、そうでないなら間違ってるのは世界のほうですよ。新しいことを知るのは楽しいし、知らないことをみつけるとわくわくする。


わたしがムルをすきなのはこういうところに自分を重ねているからなのかも。そう在りたいだけなのかもしれないけど。おばあちゃん、またまほやくの話してるの?もうやめなよ。


すきなひとのこともここ最近ずっと考えていたね。すきなひとのどこがすきなのかを考えるのは自分がどういう人間かを考えるってことじゃないですか。まあ、だからやっていたわけではないんですが。

すきなひと、と言ってもいろいろだとは思うんですけど。わたしはムルや大倶利伽羅のことが好きで、もう「エアニュー・ランブル!」しかツイートしてないのでは?というくらいTwitterでムルの話してるんだけど、いわゆる「恋」か?と言われるとそれは違うような気がするんですよね。

すきなひとに一番されたくないことは「しょうがないね」と慰められることなんですけど、皆さんはどうですか? わたし、わたしが下向いてるときとか立ち止まったときに、自分のすきなひと、或いはすきでいて欲しいひとに、慰められる人間でいたくないなあって思っちゃう。

多分認められたいんだと思います。一人の人間として、対等に立てる存在として認めてほしいんだと思います。

はあムル……。ムルは自分の魂が砕け散るとわかっていたって月に近づくのをやめないじゃないですか。愛しいムル、ねえシャイロックはわかっていたら止める?今のムルになるのを待つ?止めて止まるひとならあの人じゃない。そうかもしれない。でも止めるか止めないかは自分の行動だからね。わたしなら止めないな……ムルがそれを選ぶなら止めないや。

ムルの砕けた魂のかけらを見つけたら、たぶんムルにどうしたいかを聞いてしまう。ムルが食べたいなら食べればいいし、わたしが食べていいなら食べたいです。

 

多分、すきなひとに向ける感情のうち、わたしの中で一番大きいものは「全部選んでほしい」なんですよね。その人が置かれた状況、その人の性格、その人が大事にしているもの、全部抱えたまま考えて、その人の選択をしてほしい。

でもそれを受け入れるかどうかっていうのは別の問題で、それはわたしの選択ですから。

「同じ地獄を腹に飼いたい」とか「同じ世界を見たい」っていう欲もあるんですけど、結局それは同一という意味ではなくて、納得したい、の範疇を出ないんだと思います。一緒にはなれない、それはわかっているので。でもできるだけ近くに行く努力をする、そういう選択をしたってことだと思います。

すぐ愛の話するなほんと。ジョジョ我慢して愛の話しちゃいましたよ。