ピンクのスタンガン

『持続可能な魂の利用』読み終わりました。

 

持続可能な魂の利用

持続可能な魂の利用

 

 最近は、新しいことを知るというより、何かを確認するために本を選んでしまうことが多くなってきたような気がします。安心したいのかな。疲れちゃったのかもしれない。

『持続可能な魂の利用』、わたしは第一部がすきでした。第二部はあんまり好きじゃなかったですね。そんな未来を期待できるほど、わたしたちの置かれている状況は甘くないと思っています。

 

今取り組んでいる卒論についてかいつまんで説明すると、欲望を他人にコントロールされるような社会に中指立てようぜ、みたいなことを書いているんですよ。

わたしは多分、もともとそういう”コントロールされること”みたいなのにめちゃめちゃな怒りを持っていて、気づかないうちに引き受けているそういう呪いを、生きている間にできる限り解いて、走れるところまで走っていきたい、みたいな気持ちがある。でも、そういう怒りってみんなが共有しているわけじゃなくて、わたしは本当はその意識の共有から始めないといけないんだろうな、と思っています。どうしたらいいのかはまだわからないんだけど。

年始に放送されていた『逃げるは恥だが役に立つ』の新春特別スペシャル、見ました?

わたしね、去年のお正月に元々のドラマシリーズを初めて見たんですけど、きっかけは両親に「お前は人間の感情を勉強するべきだ」って言われたからなんですよ。笑っちゃうよね。ほんとこれ、誰に言ってもウケるので大好きなエピソード。

その時はほんと、ヒロインが何言ってるのかもわかんないときあったし、なんでこの二人が交際関係に至ったのかもわかんなかったし、もう不満しかなくて、すっごく楽しめたかと言われると微妙だったと思うんですけど。今回のスペシャルドラマは楽しめたな。「人間の感情」を学んだのかも!と思っていたんだけど、実際には主題の問題だと思います。

今回のドラマ、夫婦別姓の問題、無痛分娩の話、性別の話、ライフスタイルの選択の話……っていろいろな問題に言及していたじゃない? わたしはあれ、全部人と人が一緒に生きていくために考えなきゃいけない問題だって思ったから、そこにちゃんと触れてくれてすごくうれしかったし、見ていて楽しかったんですよ。でも母は「前の方が面白かった」って言ってたし、姉も、twitterで散見される意見も「啓蒙に疲れる人もいるかも」とか「フェミニズム臭くなって嫌だ」とか言っていて、じゃあどうしたらいいんだろうって思っちゃった。

わたしは『逃げ恥』のスペシャルドラマはかなりファンタジスティックで、問題提起はしつつも主人公カップルのたどり着く結論はこの社会の「正解」から大きく外れるものではなくて、すごくマイルドだなって思って見ていました。これが限界なのかな、って。仕方ないのかなって。でもこれが新春ドラマスペシャルで放送されるのは大きな一歩なのかなって。

でも、これでもダメなの? これでついて来てくれないなら、どうやったら一緒の方向なんて向けるんだろう。

問題提起はできる。でも、同じ方向を無理矢理向かせることはできない。反対の方向に進みたがる人たちを止めることもできない。

どうしたらいいのかわからなくて、でも諦めるのも嫌で、駄々をこねる子どもみたいにずっとパソコンの前で文章とにらめっこしています。

「呪い」を解いたら?と促して、けれどそれを押し付けない、というのを繰り返し繰り返しやっていくしかないのかもしれない。わたしはそれと知らずに自分が誰かに消費されるのも嫌だし、わたしの大事なひとが消費されていくのも嫌です。いや、自分で選び取った選択肢がそれなのだったら、わたしが止める筋合いはないのだろうけど、でも、もしその「呪い」が自分だけじゃなくて他人にも向かうなら、やっぱりそれは止めたいよ。

どうしたらいいんだろう。どうしたらいいのかな。