生のみ
『生のみ生のままで』読みました。
友人に勧められて、図書館で借りてきました。
面白かったとは思うけど、好きか?と言われるとうーん……という感じがする。なんかちょっと、もやもやしてしまって。
わたしは綿谷りささんのことを知らないので、彼女のバックグラウンドもなにもかもわからないんですが、この話を書くにあたってどんなことを考えて、なにを描くために書いたんだろう……というのが気になってしまって。
ホモフォビア描写はもう、文句のつけようのないくらい上手くて、いや、もうここまでやる必要ある?ってくらい上手いんですよね。まあ、そんなこと書かれなくたってわかってるんですけど? この社会に住んでれば……みたいな気分になってくる。
と同時に、ホモフォビアが蔓延る現状を描いて、でもわたしたち幸せでーす! って終わるの、それもどうなの……? ってなってしまって。
それをフィクションで描くことの意味ってなんなんですかね。
現実をありのまま、あるいはよりマイルドに描いて、結局それを主人公たちの内面における昇華で留めて、で?
卒論でも書いたけど、メディアがそれを読む人に与える影響ってめちゃくちゃ大きいんですよね。それがフィクションであっても、それがフィクションであるからこそ、発信する側も受ける側も注意深くある必要があって、だからホモフォビアと内面の昇華で終わらないで欲しかったな。じゃあ主人公たちにモデルロールになれ! って言うのか、って問い詰められたら、それもそれで考えちゃうんだけど。
結局周りの人間たちは変わらなかったでしょ、せめてそこだけでも……そっちが変わる方が希望が持てるエンディングだったと思うんですけどね。一人でもいいから。
あと、何度も何度も「同性だからじゃなくてあなただから好きになった」って言われるの、結局ホモフォビアじゃないのこいつの中にあるのは……て思っちゃって。
だってそんなの、異性愛だって一緒じゃん。
レズビアンとして主人公と生きていくこと、或いは主人公と恋人であることにかなりアイデンティティを感じているらしいサイカですらそう言うの、なんかめちゃくちゃ違和感があったな。
あと後半のテンポの落ち具合が気になる。
ちゃんと駆け抜けてくれ。
わかんない。これで救われる人もいる、し、そういうタイミングもきっとあるんだと思うんですけど、少なくとも今のわたしは本に向かって唸っています。ワンワン。